100人の村だったら

(前書き)
いま、子どもが消えています。

村も団地も公園も 群れ遊ぶ子どもたちの声が消えて

ひっそりしています。

学校には、からっぽの教室がならんでいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


50年前、
日本がもし100人の村だったら、子どもは35人でした。
それがいまは14人です。このまま減ると、
2050年には7人になります。

世界からも、子どもが消えています。

子どもは、たくさんいるのです。

でも、社会にいないことにされている

「見えない子ども」が増えているのです。


世界には65億人の人がいますが、

それを100人の村に縮めると100人のうち

66人は大人です。34人は子どもです。


この本は、前回の「世界がもし100人の村だったら」

           (200112.11 第1刷)



よりも、5年後に出版されています。

ですから、総人口は2億人ふえ、


村にしめる子どもの比率が4人増えています。

世界の子どもがもし100人だったら

59人は、アジアで暮らしています。

そのうち19人は、インドで。16人は、中国で暮らしています。

20人は、アフリカで、9人は、ラテンアメリカで

7人は、アメリカやヨーロッパ、

あとの5人はそのほかの地域で暮らしています。


(感想)

ちなみに、5年前の御全村人の割るふりは

61人がアジア人です。13人がアフリカ人です。

13人が南北アメリカ人。12人がヨーロッパ人

あとは南太平洋地域の人です。



アフリカ内の子どもの人口がかなり高いことが伺えます。

いいかえれば、おとなの寿命が、短い?


世界の赤ちゃんがもし100人だったら

5人は1歳になる前に亡くなります。

そのうち、3人は男の子で、2人は女の子です。

ところが、インドや中国などでは、

女のこの方がたくさん亡くなります。

女の子をよろこばない考えがあるためです。


世界の子どもがもし100人だったら

生まれたことが役所に届けられない子どもは

55人か、あるいはそれ以上です。

それぞれの国の子どもを100人とすると、

アフガニスタンやタンザニアでは、100人のうち

6人しか届けを出されません。

インドでは、35

日本では、100人の子どもすべてが届けを出されます。


世界の子どもがもし100人だったら

31人は、栄養が十分ではなく

22人は、予防接種を受けられません。

8人は、5歳まで生きられません。
 
障害をもっている子は7人です。


世界がもし100人の村だったら1人は難民です。

世界の難民を100人とするとそのうち48人は子どもです。

その子たちのなかには、家族と離れ離れになったり

さらわれたり暴力をうけたりする子もいます。


世界の子どもが100人だったら

6人は、お父さんかお母さん

あるいはその両方が、亡くなりました。

サハラ以南のアフリカの子どもを100人とすると

そういう子は12人です。

親が亡くなるいちばんの原因は、HIV/エイズです。



世界の子どもが100人だったら

1人は、お父さんかお母さん

あるいはその両方が、HIV/エイズです。


世界の子どもがもし100人だったら

7人は、スラムで。

5人は、家族とはなれて路上で暮らしています。
 

世界の子ども100人のうち

小学校に行くのは87人です。

中学校に行くのは40人です。

そのうち20人は、とちゅうでやめました。

60人は、はじめから言っていません。

子どもたちが中学校に行かないのは、

貧しさや戦争や、飢饉のためです。 


世界がもし100人の村だったら

文字が読めるあなたは

そうでない22人よりも恵まれています。


もしもあなたが

インターネットにアクセスできるなら

そうでない89人よりも恵まれています。


世界の子どもがもし100人だったら

9人は、戦火の中で暮らしています。

軍隊や武装集団にくわわっている子どもは30万人です。

男の子や女の子は、雑用をさせられたり

大人の兵士の先にたって地雷原を歩かされたりします。

人を殺すことを強いられたり

レイプされたりする子どももいます。

戦争で命を奪われる市民100人のうち

80人は女性と子どもです。

ネットにはいつもたくさんの情報があふれています。

その中には、心を強く動かされる「寄付」情報もあります。

けれども、

いついかなるときも、情報を信じるまえには

裏づけが必要です。

そして、その裏づけにぴったりの情報を得たとしても

感傷的になった場合、

その隙に漬け込んで、詐欺を考えるものたちも存在します。

何事にも、まず、冷静になれるまでは判断をしないことです。

【世界がもし100人の村だったら 子ども編】



(池田香代子+マガジンハウス編)



20067.20 第1刷

世界がもし100人の村だったら

文字が読めるあなたは

そうでない22人よりも恵まれています。

もしもあなたが

インターネットにアクセスできるなら

そうでない89人よりも恵まれています。

世界の子どもがもし100人だったら

9人は、戦火の中で暮らしています。

軍隊や武装集団にくわわっている子どもは30万人です。

男の子や女の子は、雑用をさせられたり

大人の兵士の先にたって地雷原を歩かされたりします。

人を殺すことを強いられたり

レイプされたりする子どももいます。


戦争で命を奪われる市民100人のうち

80人は女性と子どもです。


(感想)

国単位の戦争と、主義単位のテロと。

今「安全」が、需要も値段も世界で一番高い

「商品」となりつつあります。

その後ろには・・・・・



世界の若い女性を100人とすると

36人は、子どものうちに結婚します。

世界のお母さん100人のうち、

40人は、避妊の方法を知らず、

1人が、妊娠やお産のために亡くなります。

(経済的に)貧しい国だけだと

100人のお母さんのうち6人が亡くなります。

そのうち、3人は、まだ子どもです。

10代の女の子がなくなる原因のうち

もっとも多いのは、お産です。

若すぎるお産のために体をこわし

社会や家族からうとまれる女性が、たくさんいます。





世界の子供がもし100人だったら

16人は働いています。そのうち

10人は、

けがや病気の危険にさらされています。

心に傷をおう子どもも、すくなくなく

ほとんどが学校に通っていません。

子どもが、子ども時代をうばわれることは、

人類がいきのびるのに欠かせない

しあわせの記憶が、うばわれることなのです。

人類が、子どもをうしなうことは、

人類が備えているはずの

内なる子どもの輝きを失うことです


こんなふうに考えてみてください。

世界が1ヶ月、戦争にお金を使わなければ、

そのお金で、2億2千万人の子どもを

危険な鉱山や、不潔なゴミ捨て場から

助け出せる、と。



あるいは、わたしたちが

フェアトレードのチョコレートを食べることにすれば

カカオ農場から、何十万人もの子どもたちを救える、と。


(同著者 池田香代子 2006年初夏)

わたしたちが大好きなチョコレート。

その原料のカカオ豆には、

奴隷のように働かされている子どもたちの汗と涙と、

そして血さえもしみこんでいることを、

わたしたちは知りません。

だから、わたしたちは平気でチョコを

食べてきたのではないでしょうか?

 いまあなたは顔をしまめましたか? 

チョコをたべちゃいけないっていうのか、と。

そうではありません。

わたしたちはチョコをたべたい。でも、

それを作るために、おやつどころか食事も満足にたべられず

学校にも行けずに働いている子どもがいるというのも嫌。

それが、わたしたちの正直なきもちですよね。


 では、どうしましょう?

子どもの奴隷を使っていないチョコを探すという手があります。

そういうチョコは、フェアトレードのお店にあります。

でも、チョコはアイスにもケーキにも使われています。

あるいはあなたは、ある会社のあるチョコが好きで

それはフェアトレードのお店では売っていなかったりします。

ひとつのやり方が、

みなさんの大好きなチョコを作っている会社にお願いをするのです。

子どもの奴隷が収穫したカカオ豆を使わないで、と。

そういうことが、もうアメリカでは起こっています。

アメリカでいちばん大きなチョコレート会社が

何年後かには子どもの奴隷が収穫したカカオ豆は

使わなくする、と約束したのです。

(著者 池田香代子 2006年初夏) 


2006年、インドで

奴隷のように働かされていた

子どもたちが集まって

宣言しました。


子どもをこき使う農場主や工場主、

主婦や政府の役人は、

罰せられるべきだ、と。

子どもの結婚をなくし、

すべての子どもは

タダで小学校に通えるべきだ、と。

子どもは、情報をしらされ

政府に意見を言ったり

要求したりできるべきだ、と。


(感想)

子どもは、やがて世界を支えていきます。

その子どもたちから人を愛する心を奪わずに

未来に送り出したてあげたい。

ドメラ・メドウズは言いました。


貧しい人びとがしあわせになるためには

金持ちになる必要は無い、

5つのことが満たされればいい、と。


1つめは、きれいな空気と土と水

2つめは、災害や戦争のためにふるさとを離れなくてすむこと

3つめは、予防をふくむ基礎的な医療をうけられること

4つめは、基礎的な教育をうけられること

そして

5つめは、伝統文化に誇りをもち、それらを楽しむことができること。

この5つがあるところでは、

その真ん中に子どもたちの笑い声があふれているはずです。


もちろん、大人たちの笑顔も。


(感想)

・・・秋祭りが、あちらこちらではじまっています。

だんじりにのって

楽しそうに太鼓をたたいている子ども達と、

そのだんじりを取り囲むように押している大人たち

車道にすこし出ておりましたが

道行く車はゆっくりとおおまわりによけていて
そんな光景を昨日みました。

伝統文化を誇り伝え、そして楽しめることは

とても、とても、大切なことでね。

かつて、国内でも

その方言を禁じられた地方もありました。

しかし、人の心に宿る文化は

あるいは「歌」として

今にまた伝わってくものなのですね~・・・



ネットにはいつもたくさんの情報があふれています。

その中には、心を強く動かされる情報もあります。

けれども、

いついかなるときも、情報を信じるまえには

裏づけが必要です。

そして、その裏づけにぴったりの情報を得たとしても

感傷的になった場合、

その隙に漬け込んで、

詐欺を考えるものたちも存在します。

何事にも、まず、冷静になれるまでは

判断をしないことです。


こどもたちが、寒い日に、

お腹も心も暖かく眠ることができるように

子どもたちが、生きていけるように、

考えたい。



世界がもし100人の村だったら(3)

「世界がもし100人の村だったら(3)たべもの編」

世界には65億人の人がいますが、

それを100人の村に縮めて、食べ物のありかたを見てみます。

100人の村人のうち、
50人は米を、
26人は小麦を、
7人はとうもろこしを、
後はいも類などを主食にしています。


村人の平均寿命は、
女性が67歳で、
男性が63歳です。

村一番の長生きは
日本女性で、85歳です。

100人のうち太りすぎの人は15人です。

100人のうち
食べ物を沢山作って、他の人に売っている人は48人です。
足りなくて買っている人は52人です。

世界がもし100人の村だったら、
1年のあいだに
75人は20キロの、
25人は80キロの
肉を食べています。

一人が1年に食べる肉は、
インドでは5キロ、
中国では45キロですが、
イタリアでは80キロです。

一人が1年に食べる卵は、
インドでは30個、
アメリカでは174個、
日本では226個です。


食べ物を作るには、
沢山の水がいります。
村で使われる水の70%は農業に使われています。
1キロの米をつくるには、
4トンの水が要ります。
1キロの牛肉をつくるには、
20トンの水が要ります。

牛丼1杯には、2トン以上の水が要ります。

日本の人口は1億2700万人ですが、

日本がもし100人の村だったら
食べ物の仕事に携わる人は
10人です。
10人のうち、
3人が田畑を耕し、
1人が工場で食品を加工し、
3人が店で食品を売っていて、
3人が食堂などの外食店で食事のサービスをしています。

日本の国の予算のうち
農業ために使われるのは
4%です。
軍事費は
6%です。

かつて、アメリカなど5つの国は
日本が車などを輸出しにくい国にするために、
円が高くなるようにしむけました。
すると、日本はいろいろなものを
輸入しやすい国になって、
食べ物の輸入が増えました。

ヨーロッパは、せまい国がほとんどです。
でも、食糧自給率は
フランスが、121%
ドイツが、99%
イギリスが、61%です。


日本の食料自給率は40%です。
従い、私たちの体の60%は、
よその国の資源を使って、
よその国の人が作った食べ物で、できています。

わたしたちの食べ物をつくっている畑の
70%は、よその国にあります。


日本の食べ物をつくるために、
よその国で1年につかわれる水は、
日本で使われる全ての水の1.1倍です。

日本の穀物の自給率は
28%です。

日本の私たちは食費のうちの、
8%を生鮮食品に、
30%を外食に、
62%を加工食品に使っています。

加工食品は、
日本が世界一たくさん輸入しています。

加工食品には添加物が欠かせません。

日本では1500種類の食品添加物を
1人が1年に24キロ食べていることになります。

日本の私たちは、
世界で一番たくさんの食べ残しを捨てています。

捨てる食べ残しは、1年に2000万トン以上です。

世界の食料援助量は、1年に1000万トンです。

日本の食べ残しの量で、アフリカの難民が救えてしまうそうです。
少し「もったいない」と思いませんか。

中国の賢者、老子はいいました。
「もう、これで充分だ」と思える人は、ほんとうの富を探しはじめている、と。


インドの哲学者、ヴァンダナ・シヴァはいいました。

世界は、そこに生きるすべてのの者に食料を与えてこそ、
持続できる、と。

この村で作られた穀物を平等に分ければ、
すべての人が、
1日2800キロカロリーの食事を
取ることが出来ます。
もし恵まれた人が、
肉や牛乳やバターを食べるのを
10%減らしたら、
17人の栄養不足の人に
穀物をまわすことが出来ます。
もしアメリカと日本の人が、
ビタミン剤や健康食品に使うお金を
食糧不足の国にまわしたら、
11人が飢えずにすみます。
そんなのは夢だと、
あなたは思うかもしれません。
でも、こう考えてみてください。
街角のコーヒーチェーンには、
フェアトレード(公正貿易)のコーヒーも、
売っているところがあります。
もしあなたがそれを飲めば、
ラテン・アメリカなどの小さな農園の農民は、
きちんとした食事が出来ます。
もしもあなたが、
草地で育った乳牛のミルクや、
国産の餌で育った牛の肉を買えば、
たくさんの穀物を輸入しなくてすみます。
また、フランスのように、
学校に飲み物の自動販売機を
置くことをやめたなら、
若い人たちがソフトドリンクを飲み過ぎて、
肥りすぎることもなくなります。
(100人のうち肥りすぎなのは15人の人です!)
お金は人気投票の手段です。
私たちはより好ましい世界からやってくる、
より好ましい食べ物を買うことで、
より好ましい世界を少しずつ、
でも確実に力強く引き寄せることが出来ます。


想像してみてください
もしもあなたがもう少したくさんご飯を食べたり、
国産の米粉でパンや洋菓子を焼いたり、
肉や卵や牛乳を少しだけ減らしたり、
工夫して水道の水でおいしいお茶を入れたとしたら。
もしあなたが地元でとれた野菜や魚を買って、
自分で料理し、
旬のくだものの皮をむき、
自分が食べられる分だけとりわけてなるべくのこさないようにしたとしたら。
ごみは土にかえしたとしたら
「ごちそうさま」の向こうにはどんな世界がひらけるでしょう?

またこんなことも想像してみてください。
もし、
都市に住む人がやさいを自分たちでつくったらどうなるでしょう。
キューバの首都・ハバナは、そんな菜園都市です。
アメリカの経済封鎖とソ連の崩壊で、
食べ物が手に入らなくなったキューバでは
ハバナの市民に、土地を貸すことにしました。

人々は中庭を、
バルコニーを、
屋上を、
ゴミ捨て場を
耕し、
空き缶にも土を入れて、
野菜をそだてました。

化学肥料や農薬は、つかいたくても、ありません。
ですから全て有機農法です。
学校や家庭から出る生ゴミも家畜のえさや肥料にしました。
ハバナには新鮮で安くて安全な食べ物がでまわるようになりました。
(「世界がもし100人の村だったら〈食べ物編〉」より)
私たち一人一人は、
大きく世界を変えることは出来ないかもしれません。
けれど、
一人一人がほんの少しずつ世界を変えていくことが出来ます。
すごくいい世界にはならないかもしれないけれど、
よりベターにしていくことは出来る。。。
ほんの少し視点を変えるだけで、
それほどの労力もかからずに出来ることがあります。
・・・ちょっとだけ、
そういうことを考えてみませんか??


お金は、人気投票の手段です。

世界の都市や町に
小さな畑がもっと増えますように…

人々は中庭を、
バルコニーを、
屋上を、
ゴミ捨て場を
耕し、
空き缶にも土を入れて、
野菜をそだてました。